2008年05月16日

四川省 大地震





去る12日・・中国で大地震・・。

その日は実は・・旧暦で4/8 花祭り 御釈迦さんの誕生日でもあった。(丁度・・・干潮の前後(午後三時ごろ)である。上弦の日。)

産みは満潮。死は干潮が司ると言われるが・・・。

女性の生理も28日周期。明らかに満月・新月の周期の引力影響を受けている。

死者は5〜7万人を超える勢いだ・・。500万人が家が無くなる。

阪神大震災の十倍以上の被害である。


地震雲かどうか分らないが・・・・前日の5月11日11時30分頃かな?本郷南方のナフコから異質の雲を見あげた・・。日向灘沖から一点に集約したおよそ30〜50kmであろうか(目測)・・・・13から16本(たまたま数えておった・暇人である)の放射状の雲あり。(たてぐもにも見える)

空の濃い蒼さと映えて・・・とても美しくみえたが、たてぐもは地震雲と聞いて久しい・・・。すわ!・・・宮崎もアルカ。とワシ自身は内心警戒しておった。(汗)(過去に何回か小生も地震を2・3日前に当てた事が何回かアル)

新潟でも「地震雲」は今回撮影されているらしいが・・。

おそるべき M(マグニチュード)8の大地・獅子の叫びよ・・。すごいエネルギーである。ナマズのおひげが騒ぐわけである。今回は四川省のカエルが大量に移動する異変があったという。

スマトラ大地震でも・・・前日2・3日前からから馬や牛が多くが山などに逃げ出していたという。動物は第六感(シックスセンス)が明敏であるという。人はあまり理性(左脳)に頼りすぎ・・直感(体感)が退化しているのだろう。

縄文人などはその点、「危機」の体感に極めて敏感であったにちがいない。マンモスやオオカミにいつでも襲われる・・・。

家でもねずみが騒ぐと火事になるという。

映画「タイタッニック」でも・・・デカプリオとウイスレットが地下から甲板へ逃げるシ−ンでねずみが逃げる方向へ「追跡」するシーンが納められている・・・。

5/12はナイチンゲールの誕生日であったかな・・。看護の日。

今年の干支は子(ねずみ)12日は壬子(みづのえ ね)であった。

発生時間は14時26分24秒(現地時間)子から牛の時間である。

いや・まちがえた!12支は1支が2時間だから、羊の時間かな。

少々めんどくさい・・(汗)。 鹿男 あおによし


偶然かも知れぬが・・・。ちなみに今年の子(ねずみ)月は9月である・・・。(9/8 9/17 9/18は子の日・・・)

特に9/13(五黄・丙辰・ひのえたつ)に気をつけよという方もいるが。(ブラジルの有名なJ氏・・)

どこまでほんとかnou・・・。


証拠写真というものか分らないが・・・知人の「ダンシングフェアリーミイヤ」・ミイヤプロジェクト製作のミイヤの日記の5/11の日記前半の一枚目にその雲が偶然撮影されている。その日はくしくも宮崎フラワーフェスタ最終日であった・・・。

興味のある方は拝見されたし・・・。



   http://df-miya.com



私の知り合いも阪神大地震以後宮崎で生活されてる方3家庭知っている・・・。



ある家庭はお好み焼き屋を吉村町でされてる・・・。

ある家庭のかたは・・・一週間前に引越し助かった。

(何ヵ月後・・・そこを訪ねると見事にぺしゃんこだったと言う。)

さるSさんは朝起きたら・・・一階だけつぶれ2階に住んでいたので全員助かった・・・。(また不幸中の幸いで地震保険にも入っておられた・・・・。)


その運の違い・・・・!。 「死」と・・・「生」との境界とはざま。



成都は蜀の都・・・。四川はパンダのふるさと。 そばに臥龍あり。

正月の長崎新聞によれば・・・孔明さんの子孫は3000〜4000人いるいう。

主に山東省であっただろうか・・・。 心配であるが・・・。


孔明さんの子への遺言に・・・『 誡子(かいし)の訓 』というものが伝えられている。

歴史的名文家の孔明さんの子孫への手紙である。当時の「医聖・華陀公(はじめて麻酔・麻仏散を創ったとされる)」を嘉(よみ)していたのか・・・。

その中で「政治家(為政者)にならざれば・・・医者に成らめ・・・」との言がある。


それほど人の命を救う医師は実際、素晴らしいということだろう。

私の小学生からの同級生のあるT 医師も・・・・4・5年前激務で急逝している。(くも膜下出血)

久かたの約10年ぶりの小学生同窓会のときも・・・担当の重患のため・・・途中でその患者を心配し・・名残惜しそうであったがすぐ県病院へむかった。実に多忙そうであった。

まだみんなと居たかったろうに・・・。

しかし・それからしばらくして・・・まさか彼自身が・・・。30半歳なかばで逝くとは!

葬式の時・・・彼の父は泣いて述べていた。「私が殺したと・・・。」父も医師である。2代続けての医家である。医師でも2代3代は続けることは現代でも難しいであろう・・・。

独立開業してまだ2・3年も経っていなかった。あいかわらずとても繁忙であったらしい。

婚約者もいたのである・・。  残念。


彼との想い出で懐かしいのは、小6の時、(夏休みの友)を2人で競い合って3日で終わらしたことである・・・。彼がやり方を教えてくれた。感謝である・・・。今・・時は経て、私の子供に教えている。子供もきそいあって頑張っている。正解率はわからないが・・・(笑)

徹夜・・・であったが。楽しかったノウ。あとの夏休みが楽楽じゃった!!。

彼は当時の担任川越先生から、IC,私はトランジスタ(笑)とあだ名されていたらしい。Kくんが後年教えてくれたなぁ・・・。



医師とは雅に選ばれた人々のの命がけの・実際・に「人の命」を救う「善行」だ・・・。

またその技術は習得することが極めて難しい・・・ピノコの主人であれば・・・。いとやすしかも知れぬが。大学も6年かかる。

瓦礫の下に・・・いま人の命がある。



世界のスーパーマンよヒーローよ・・・。助けておくれ・・・!

すこしでも人命が生きて助からんことを望む。

同じ「地球人」として・・・!!


諸葛孔明は・・・・身内に厳しく(泣いて馬謖をきる=馬謖は孔明の愛弟子・後継者と目されていた)・・・周りには正しく『 仁の人・慈悲の人 』であった(七たび捕え七たび放つ=南蛮遠征) 日本の代表的政治家・頼朝公・秀吉公も彼の実在を(知る)べきであったろう。

彼等より1000年前、絶えず自己淘汰に膿まない・洗練された類まれな洞察眼と、実璧に近い世界的史観・普遍的・経綸を持つ国際政治家が、隣国・中国にいたのである。無論・・・「いくさ」は生きるためには避けようがない時代でもあったが。

伝説かも知れぬが・・・精通した天文を掌り、赤壁の戦さでは、「東南の風」を起こしたとされる。曹操軍40万は・・・見事に大火になりて早々と敗れる。


「無恥」とは恐いものだ・・・。


昨今の小・政治家とは、ほぼ逆である・・・。(凡人はまず身内に非常に甘いものだ)


綱紀粛正も諸葛孔明ハ、トテモ厳しい・・・。

役人などの、不正は決して「許さなかった」のである。

守民・斉民を守らぬ「悪官史」は名を天下に公聴し必ず罰した。

だがそれでも怨まれないし、憎まれぬ・・・。実にその判断が極めて「公正」であったからである。馬謖の家族なども処刑後も・・なんと手厚く面倒を見たのである。(歴史的に為政者はライバルの一族郎党を根から絶つのが今でも常識である)頼朝公などもあまりにも身内を処断しすぎて・・・三代で滅ぶ。

饅頭なども彼が発明・・・。当時人柱・・・首柱は、生身の人間の犠牲を伴っていた。真心を込めた「饅頭・マントゥ」創り、これを代わりとせよ・・・と。南蛮の悪風習を改めさせたという彼ならではの伝説が残っている。

他には諸葛菜。連弓。馬や牛の車。天文。軍事技術。用兵の妙。奇門の陣。

発明にも長けていた。経済も精通。帝王学・哲学の体現にも普遍なるわだちの足跡を残す。


氏の亡きあとも、蜀は30年も国態を維持する。



氏は・・・・下克上・止むことなき泥世に咲いた一輪の清き花のよう。(現代も下克上の咎の中にあるだろう)



氏はおそらく・・・天下三分の計、もしくは100年先どころか・・・翼翼2000年後の私たちや・・・先々3000年後のひとびとに向かい・・・その生きた『石琴』の調和律を自ら示して弾き語りかけてるようだ。現代の私たちをも彼のものさしで相手にしているようでもある。(孔明は戦陣に於いても「琴」を良く弾いた。弓ばかりではない。)

中国の人でありながら・あたかも日本人のようでもある。極めて親しく感じる人は多い。

その考え・思想・経綸は現代人と比べても極めて聖櫃さや・普遍的な響きと調和を華っている・・・。世界人=コスモポリタンであろうか。

「君子」を求めたが・・・・意にはからんや・・・・自らが「君子」その人ではなかろうか。

『出師の表』は後世・現代の万民に対する彼自身の(涙詩)であろう・・・・。

自身が蜀の「皇帝」になる道も劉備に認められていたのであるが、臣としての道をまっとうする・・。

4・5度に及ぶ魏との熾烈なる戦いは彼の死で終わるが・・・。(先に仕掛ける戦はどうしても(有)史では分が悪い。「守戦」の赤壁の戦いなどでは抜群の軍事・用兵を表す孔明も、「攻戦」の五丈原の戦い等にいたるまで最後の詰めで、いつも苦戦・遮られるのだ・・)

いつも肝心な場面で仲達を追い詰めることが出来ない・・。『 事をはかるのは人にあり、されど事を成すは天にあり 』泡や、仲達親子(炎死)のまぎわ、大雨が降るのにあたりての孔明の言。仲達の強運も未だ挫らず。


彼は三顧の礼(27歳ごろ)にある様、「震眩」尽きない政治家などにはなるつもりは当初なかったろう。

かたや「晴耕雨読」のみでも一生送れる雅画・響楽の深甚なる人物・仙童仁であるにも違いなかった。


『 善人・劉備玄徳 』に出会うまでは・・・・!。


400年続いた『大・漢』の滅亡も国運の衰亡も彼のたぐいまれな「明敏・洞察眼」・・・であれば、おそらく予期できていただろう。

しかし・・・劉備その人に出会い「負け組み」ノナカデモ・善力を尽くしたのである。

類まれなるソウルメイトか・・・くされ縁か。


【 出世・名声・歓我 】のみ求めるのであれば、「曹操」ノ幕僚になれば短期間に中国全土を計臨・補佐できた「胎・才」であろう。



従兄弟は「魏」に仕え、兄は「呉」に奉職・・・。(つて)は漢土一帯にあったのであるから。どこにでも門戸は開けていた。




彼の悲壮なる『義侠』のこころの発表の歴史舞台は=「蜀」である。

後世の人々へ、その人生・勇姿・・有史の『評価』をゆだねたとおもわれる。その決意は、まちがいなく自身の『寿命』を刻んだのであるが。


孔明は「上」にも「臣」にも「部下」にも一度契約・借款したことは・・・必ず果たす責任感と誠実さと、安心感と度量があった。・・・『 百日帰還の約定の涙 』

また周囲も彼をそう観ていた。

血液D(だら・だら)型の〈私〉は約束をあまり守らぬので・・・恥ずかしき限り・・・ダガ。 皆さん申し訳ない・・。



我々にもその孔明の親近感は・・・国の『父』や『叔父』のようだ・・・。



四川省は日本人にふるさとを感じさせる知的知源。陳建民・健一氏のなじみふかき四川中華料理は、日本に広まりたり・父子2代。

震源地の川〈ブンセン〉地方は古来・・・「漢」民族の発祥の地区ともいわれる。実はその周辺のチベット系の「羌族」の事を指すらしいのだが。司馬遼太郎氏(談) 


「秦・始皇帝」なども・・・ここらあたりの産であろうか。

始皇帝は隣国の小国「韓」を手始めに滅ぼして中国全土を統一した。

「漢」の劉邦は秦の次の国の初代皇帝。粗野な彼はよく、儒家の帽子を取りあげ・そこによく排尿した・・・。(笑)

ところがいつしか400年経て「儒教」はついに「漢」の法となる・・・。

礼儀と徳と信義の王『 桃園の義・劉備玄徳 』が生まれる「背景」にはそれだけ「時間」と「血」と「涙」と「教養」がかかっている。関羽。張飛。趙雲。

ただ『桃園の誓い』を守るのに性急な『怒り』を発した劉備の為に・「蜀」の国力が衰えてしまったことは否めない。

彼自身も病没する。孔明の試練が始まるのである・・・・。




陳氏は玄奘三蔵の本姓でもある。三蔵法師もどの道を歩んだか・・・。

陳一族の本貫(出身)は、四川省らしい・・。

「三国志」の著者も陳寿。「陳」とは耳に東・・・・。


東の声にも・・・耳を傾けよ・・・か・・・。


宮崎の中国県人会の副会長も、物腰柔らかい陳さんという方である。

去年の夏・・・「三蔵法師」のことを・・・こころ澄みきる笑顔でお聞きした・・・。2人の息子さんは大学教授・少林寺師範である。

偶然ながら、人との出会いは『ドラマ』の脚本より面白き場合が有るのだ。


20代前半のころ・・・東京のある職場で偶然、中国人留学生・劉さんという方としばらく仲良くさせていただいた機会があった・・・。

彼に諸葛孔明の事を聞いてみた。

すると彼はたどたどしい日本語でこう答えた・・・。



  『か・神様ですね・・・』と。



卑弥呼の使いも「魏」を訪れ・・・諸葛孔明の逸話を聞いただろう。

「魏」から「義」へ・・・。蜀の都。成都。蜀が中原を治めておれば・・・かならず卑弥呼の使いは孔明一族と出会っていただろう。

魏志倭人伝(日本最古の外国に於ける記録)ならぬ・・・・「蜀漢倭人伝」である。「四川倭人伝」。

それから数百年のちも・・・平安期・やっとの6度目の渡航で、来日された中国人・鑑真和尚が居る。(天平の甍・井上靖・映画化在り) 

唐招提寺は彼が建てた当時初めての正式な戒律(作法)を教える=「民間」の寺である。当時・民間で創寺することがいかなることか、想像を絶する厳しさであろう。まさしく当時の日本は、『 死・線 』を超えねば行くことが叶わなかった。日本国は招いていながら・・・十分な補佐をしなかったのである。

光の見えなくなった目で・・・・和尚は、この倭人国を何と見たことか・・・。いかなる困難外でも内においても、根を上げることは許されない環境で物事を総司することが出来る・・・いわゆる・・・ミッション=(使命意識)が強い偉人であるにちがいない。そんな人物は今でも・・・稀有だろうが。

何で忘恩しやすい日本人のために。こんなにまで・・・。と思うのだ。



諸葛亮孔明・・・くしくも漢・最後の献帝と生誕・没年が同じである。(AD181〜234・53歳)   

日本では・・・高鍋藩(現在・宮崎県・高鍋町)の秋月氏が献帝の子孫の系譜を持つという。

子孫からは上杉庸山(米国ケネデイ大統領が尊敬する日本人として一番に挙げる)、石井十次(3000人の孤児を育てる)など・・・民を愛する『名君』がその花を咲かせている・・・。清き川には・・・清き魚がすみたり。

「高鍋藩」は江戸時代中期から全国でも先駆けて農民の子弟から、武士の子息に至るまで身分を超えて同じ(塾)で教育した歴史がある。藩主はそうゆう「人」であった。当時は身分制がはるかに厳しい。

だからこそ・・・上杉謙信公の系譜に・・・「養子」として薫陶を受ける機会に「庸山・ようざん」もはいることが出来たに違いない。それほど度量のおおきな名君の一人として現代でも評価されている。

『 成せばなる何事も・・・成さぬは人の成さぬなりけり 』

有名な庸山の言。

時代も少しずつよくなっているかも知れぬ。


そうゆう風土がこの5万石に満たないかも知れぬ「藩」にはあった。


DNA・・・?



孔明その人の「天下経綸の法」「極めてまれなる誠実な経綸家」「敵をも魅了する人物」の存在を知れば・・・・日本の古代史は400年は早く成熟したかも知れぬ・・・。

『彼は天下の奇才なり。おそらく2度と彼のような人物はこの世に顕れないであろう・・・ 』と。司馬懿仲達(晋・高祖)


『 孔明ノ嫁選びをまねするべからず 』と彼の青年時代の近隣・知人は冗談半分でひやかしたという。

だが・・・・決して傾国の美女ににも惑わされない・・・・強い淘汰された意志と審美眼も彼は併せ持っていた・・・。(事実・孔明夫人・黄夫人はとても不美人・シコメで有名であった。)

その辺がよくある多くの功なり・狭・大興した帝王・国王さんなどの大奥物語・閨スケベ談・泥自愛などと、まるでちがうのだ・・・。


周囲の不評に対しながら、孔明に見事ふさわしい黄夫人の「賢夫人」たるは、つとに有名である。

いろんな「賢母」たる逸話が残っている・・・。



私には・・・とてもまねできぬが・・・。(汗)

美人に弱い。(笑) 望弱美人。



まさしく・・・己を犠牲にして(蜀・ろうそく)世界の耳目を集めたるや。

くしくも彼が仁愛を以って治めた南蛮はミャンマーあたりであろうか。

国際社会が今ひとつになり・・・胸襟を互いに開き良き助け合いをするべきだ・・・。


それしかないだろう・・・・。




                災と時代と恩讐を超えて・・・。


   














【最近考えし事の最新記事】
posted by ゆうさん at 01:15| 宮崎 晴れ| Comment(6) | TrackBack(0) | 最近考えし事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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Posted by 大海や at 2008年06月12日 04:50

すいません・・・。

校正中です・・・。しばらくお待ちください。

閲覧誠にありがとうございます。

Posted by ゆうさん at 2008年06月13日 09:00
九星を勘違いしてました。すいません・・・。(汗)勉強不足でした。

今年は一白水星の年。

一白水星の月が9月で・・・一白の日が8、17、26日・・・・でした。


子ではなかったですね!・・・・(謝)

17日は一粒万倍日でもあるし・・・・

皆さん宝くじお勧めです。

                 失礼
Posted by ゆうさん at 2008年09月15日 11:52
三つの星が並びマスル。

三星・・・・・ミュシュラン・ラン。
Posted by ゆうさん at 2008年09月15日 11:55
見事はずれましたでごわす。

スンマソン。

でも外れた方がいいですよね。  拝
Posted by yusann at 2008年10月22日 07:00
9/17付けで武田さんが宝くじ2,000円当たりましたそうですよ!

師匠オキノシマノ斉藤さん見てます?

ありがとうございますネ!!

Posted by ゆうさん at 2008年10月22日 07:06
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